世界大百科事典(旧版)内の散所長者の言及
【被差別部落】より
…その内実は種々雑多であって,大寺社に人身的に隷属して〈キヨメ〉(清めの意で,寺社域・道路の汚穢(おわい)を清めたり,葬送行事にかかわる下役を勤めたりする)の雑役に駆使されたり,雑芸で口を糊したりしたものから,物乞いでかろうじて生きた〈乞食〉の集団をなしたものまでをも指しており,これには〈癩者〉(ハンセン病患者)をはじめとする貧窮孤独の病人や身体障害者も含まれ,仏教思想による〈慈善救済〉,具体的には,いわゆる〈施行(せぎよう)〉(施し)の対象となっていたものである。彼ら〈非人〉の多くは,京都(京)の清水坂(きよみずざか)や奈良(南京・南都)の奈良坂など都市の周縁部に位置する交通の要衝や,荘園内に設定された〈散所(さんじよ)〉という地域を根拠地として,〈非人長吏(ちようり)〉や〈散所長者〉による統率・管理のもとで集落生活を営んでいた。さらに鎌倉時代中期には,すでにこの〈キヨメ〉たち(職能の呼称が,それに携わる人の呼称にもなった)は〈えた〉と同一視されており,〈えた〉はまた〈河原のえた〉ともいわれたように〈河原者(かわらもの)〉と一体であったことが知られている。…
※「散所長者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」