世界大百科事典(旧版)内の文世光の言及
【大韓民国】より
…73年11月,金鍾泌国務総理が朴大統領の親書を携行して来日し,陳謝とともに,金大中は自由の身であると言明して日本側の了解をとりつけた(第1次政治決着)。しかし,駐日韓国大使館の金東雲書記官の事件関与の問題,74年8月の在日韓国人文世光による朴大統領狙撃事件などがあったため,75年7月に韓国側は改めて金東雲の不起訴と公務員資格剝奪,文世光事件の捜査要請等を日本側に伝達し,宮沢外相はこれを受け入れた(第2次政治決着)。他面,金大中事件を契機に,韓国の民主化運動と,これに呼応する日本の日韓連帯運動が盛り上がりを示し,民衆レベルの交流に深さと広がりがみられるようになった。…
【朴正熙】より
…軍人的,上意下達式な強権支配はセマウル運動などを通して経済の高度成長を達成するうえで効果はあったが,他方で不正腐敗,貧富の格差拡大といったひずみも広げた。74年8月には在日韓国人青年文世光による大統領狙撃事件によって夫人陸英修を失い,79年にはみずからも側近の金載圭中央情報部長に殺害されるという,悲劇的な生涯であった。【猪狩 章】。…
※「文世光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」