文明の一揆(読み)ぶんめいのいっき

世界大百科事典(旧版)内の文明の一揆の言及

【加賀国】より

… 応仁の乱を機会に北加賀の守護赤松氏が本領の播磨などを回復すると,加賀の守護職は富樫政親と幸千代の兄弟を擁立する2派の国人によって争われることとなった。幸千代派と高田門徒の結合に対抗して,本願寺門徒もまた政親派に加勢する形で権力抗争に介入し,74年の〈文明の一揆〉で幸千代派を打倒する。この〈文明の一揆〉によって,本願寺門徒の一向一揆は加賀一国の実質的な支配権を手中におさめ,続く88年(長享2)の〈長享の一揆〉で,守護権力の回復をはかった富樫政親を石川郡の高尾(たこう)城に滅ぼした。…

※「文明の一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む