文永八年の法難(読み)ぶんえいはちねんのほうなん

世界大百科事典(旧版)内の文永八年の法難の言及

【開目抄】より

…身延山久遠寺旧蔵の真跡は焼失したが,日乾(につけん)の真跡との対照本がある。1271年の〈文永八年の法難〉で,日蓮とその門弟が弾圧され,転向者が続出,踏みとどまった者や日蓮自身も,法華経の信奉実践者がなぜかくも受難するのかとの疑惑を抱いた。佐渡の日蓮の緊急かつ重要な課題は,この疑惑をとくことであった。…

※「文永八年の法難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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