世界大百科事典(旧版)内の文永八年の法難の言及
【開目抄】より
…身延山久遠寺旧蔵の真跡は焼失したが,日乾(につけん)の真跡との対照本がある。1271年の〈文永八年の法難〉で,日蓮とその門弟が弾圧され,転向者が続出,踏みとどまった者や日蓮自身も,法華経の信奉実践者がなぜかくも受難するのかとの疑惑を抱いた。佐渡の日蓮の緊急かつ重要な課題は,この疑惑をとくことであった。…
※「文永八年の法難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…身延山久遠寺旧蔵の真跡は焼失したが,日乾(につけん)の真跡との対照本がある。1271年の〈文永八年の法難〉で,日蓮とその門弟が弾圧され,転向者が続出,踏みとどまった者や日蓮自身も,法華経の信奉実践者がなぜかくも受難するのかとの疑惑を抱いた。佐渡の日蓮の緊急かつ重要な課題は,この疑惑をとくことであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...