文禄堤(読み)ぶんろくづつみ

世界大百科事典(旧版)内の文禄堤の言及

【淀川】より

難波,山崎,宇治木津大津,次いで江口神崎河尻などが河港として淀川水運の拠点となり,中世には川関が各地に置かれた。 16世紀末の豊臣氏による伏見から大坂まで約28kmの連続堤防(文禄堤)の構築と18世紀初めの大和川付替え工事は,淀川水系の地図を大きく塗り変えた。遊水池としての巨椋(おぐら)池が分離し,大和川は堺への新放水路を流れることになって淀川と切り離され,河内低地の新開池,深野(ふこの)池とそれに注ぐ長瀬川,玉串川が干拓され新田となったからである。…

【利根川】より

…中条堤はふつうの堤防と違って利根川の流路と直角に,右岸側の埼玉東部平野北端の熊谷扇状地東端と利根川との間につくられた堤防である。すなわち中条堤は利根川の左岸堤である文禄堤と一体になって,中条堤以北の右岸一帯の土地を遊水池とする役目をもっていた。このため利根川の多量の水は,洪水のたびに中条堤より上流の右岸地域にはんらんするので,ここより下流の利根川の流量は少なくなり,洪水防御になっていた(図2)。…

※「文禄堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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