世界大百科事典(旧版)内の新エラム王国の言及
【エラム】より
…中期エラム(前1330ころ‐前1110ころ)の時代が最盛期で,ドゥル・ウンタシュ(現,チョガ・ザンビル)に巨大なジッグラトを建設したウンタシュナピリシャ,バビロニアを征服してハンムラピ法典の石碑をスーサに持ち帰ったシュトルクナフンテが有名である。新エラム王国(前750ころ‐前639)はバビロニアと同盟してアッシリア帝国に対抗したが,アッシュールバニパルの遠征軍による首都スーサの破壊によって,滅亡した。 エラムはスーサ,アワン,シマシュ,アンシャンなどの各地に割拠する諸侯の上に,宗主権を有する王が君臨する一種の連合国家であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」