新カダム派(読み)しんかだむは

世界大百科事典(旧版)内の新カダム派の言及

【ツォンカパ】より

…1373年に中央チベットに出て,主としてサキャ派の学匠レンダーワについてアビダルマから般若,中観,因明に及ぶ顕教仏教学のいっさいを学び,プトゥンの諸弟子とサキャ派の密教僧からそれぞれの系統の密教を伝授され,具足戒はシャキャ・シュリー・バドラ由来のものを受けた。ロダクの地でカダム派の教を受け,アティーシャのいう小乗,大乗,金剛乗を統合して修めるという主張に共鳴し,中観帰謬論証派の教理を軸として,戒律を重んじ,タントラ仏教を〈空〉の教義に則して遺漏なく解釈し,最高の瑜伽行として修習する一派を開いたので,新カダム派またはゲルー(徳行)派と呼ばれた。1409年ラサ東方40kmの地にガンデン大僧院を建立して本山とした。…

【ラマ教】より

…その上で顕教による般若波羅蜜の修習を終えた者のうち,きわめて優れた素質のあるものが,利他行を完成するためにこの世で一切智者(仏)の境地に到達しようとするとき,無上瑜伽タントラの実習が許されるとした。 この結論は,小乗,大乗,金剛乗の三乗を統合しようとするアティーシャ以来のインド仏教最終期の懸案に答えたものであったから,その宗旨は〈新カダム派〉とも呼ばれた。ツォンカパの示した膨大な著作はインド大乗仏教の多年の宿題に対する一つの優れた答案であったが,以後にサキャ派のコラムパ・ソナム・センゲ(1429‐89)やシャキャ・チョンデン(1428‐1507)などから反論や批判が寄せられ,傾聴すべき意見も示された。…

※「新カダム派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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