世界大百科事典(旧版)内の《新世界から》の言及
【黒人霊歌】より
…この合唱団を指導したのは白人のホワイトGeorge L.Whiteで,黒人の歌からセンチメンタルなメロディと素朴な信仰心を表す歌詞を取り出し,賛美歌風に和声づけして白人聴衆の好みに投じた傾向が見られる。それらの歌はさらに他の合唱団や歌手たちに歌われ,チェコの作曲家ドボルジャークが1893年に発表した交響曲《新世界から》に黒人霊歌風な旋律を使うなど,アメリカ民衆文化を代表するものとして広く親しまれるにいたったが,素朴で従順なニグロ,という黒人のイメージを補強する役割を果たしたことは否めない。通俗的な楽譜や職業歌手のレコードで世界に流布したそのような歌を指す言葉が黒人霊歌であって,黒人たち自身が教会や家庭で実際に歌っている宗教歌をも含めた総称としてこの語を使うとしたら,それは他に適切な用語がないための便宜的な代用と考えるべきである。…
【ドボルジャーク】より
…40代半ばから50歳ごろにかけて作曲家としての最盛期を迎え,《スラブ舞曲》第2集(1887),《ピアノ五重奏曲イ長調》(1887),《交響曲第8番》(1889),ピアノ三重奏曲《ドゥムキー》(1891)などが次々と生まれた。92‐95年ニューヨーク国民音楽院の院長に招かれて渡米し,その間に最後の交響曲となった《交響曲第9番(新世界から)》(1893),《弦楽四重奏曲第12番(アメリカ)》(1893),《チェロ協奏曲ロ短調》(1895)など,アメリカの黒人の音楽語法とチェコの民俗音楽の語法とを同居させた親しみやすい名曲を書いた。帰国後1901年にプラハ音楽院の院長とオーストリアの終身上院議員になり,独立回復前のチェコの芸術家としては最高の栄誉を受けた。…
※「《新世界から》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」