新府中(読み)しんふちゅう

世界大百科事典(旧版)内の新府中の言及

【甲府[市]】より

… 1582年(天正10)武田氏滅亡後,織田信長の支配を経て徳川家康の領地になると,その南方,一条小山の地に甲府城(舞鶴城)の築城工事がはじめられ,家康の関東移封後は豊臣秀吉の勢力下に置かれて羽柴秀勝のあと,加藤光泰が工事を受けつぎ,次いで甲斐国22万5000石のうちに21万5000石の知行高をもって94年(文禄3)入国した浅野長政・幸長父子によって城郭を完成し,新城下の建設も進められた。これが新府中(下府中)で旧城下からの民戸の移転も進んだ。その後,徳川義直,忠長,綱重・綱豊父子(甲府家)と親藩を城主とし,また幕府直轄領の城番時代もあったが,この間寛永年中(1624‐44)甲州道中の柳町宿が設立され,農村部からの商工業者の集住によって漸次戸口を増し,町方人口を示す最も古い記録では1670年(寛文10)1万2772人である。…

※「新府中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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