新聞講談(読み)しんぶんこうだん

世界大百科事典(旧版)内の新聞講談の言及

【松林伯円】より

白浪物を得意とし《鼠小僧》や《小猿七之助》《鬼神のお松》などを河竹黙阿弥が4世市川小団次に当てて脚色上演して評判となったことも拍車をかけて,〈泥棒伯円〉と異名をとった。1873年教部省に教導職が置かれ大講義を拝命,浅草寺境内で新聞の重要記事を読む新聞講談を始める。77年に翻案物《独逸の賢婦ヲチリヤの伝》を演じ,85年《安政三組盃》を講談速記本の先駆けとして刊行。…

【政治講談】より

…自由民権運動の主要な宣伝活動の形態である演説会が,一定期間演説禁止処分をこうむる弁士の続出により困難になったため,口の動きを封じられた民権活動家が,演説に代り,それと同じ機能を果たすものとして案出したのが政治講談である。その誕生には東京浅草寺境内で新聞の重要記事を読んだ〈新聞講談〉の創始をはじめ新機軸を次々に打ち出した松林伯円(しようりんはくえん)らの意欲的な試みにより,講談が民衆娯楽として大盛況を呈していることが刺激となっていた。民権講談の嚆矢(こうし)は坂崎斌(びん)(紫瀾)である。…

※「新聞講談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」