世界大百科事典(旧版)内の日中国交回復促進議員連盟の言及
【藤山愛一郎】より
… すでに戦前2度も訪中,蔣介石と会見するなど中国への関心の深かった藤山は,晩年を日中友好,国交回復にささげた。1955年にはバンドン会議で周恩来らの中国代表団と同席,60年安保のさいも〈日米安保のあとは日中打開だ〉ともらしていたが,70年3月,日中関係打開の先達松村謙三に同行した訪中以後,藤山はしだいに日中国交回復運動の中心的存在となり,70年12月日中国交回復促進議員連盟を結成した。71年10月,日中議連の訪中団長として日台条約を無効とする共同声明に調印,自民党から党紀違反の処分を受けたが屈しなかった。…
※「日中国交回復促進議員連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」