世界大百科事典(旧版)内の日中国交回復国民会議の言及
【日米安全保障条約】より
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[〈安保闘争〉とその影響]
安保闘争は広義にとれば安保条約およびアメリカ駐留軍の行動に反対するすべての運動を指すことになるが,一般には1958年に開始された安保条約改定交渉の時期に始まりその批准完了直後まで続いた条約改定反対運動を指し,より具体的には日米安保条約改定阻止国民会議によって推進された国民運動を指す呼称となっている。安保改定阻止国民会議は,59年3月28日,総評,社会党,憲法擁護国民連合,日中国交回復国民会議,原水爆禁止日本協議会,全国軍事基地反対連絡会議,中立労組連絡会議,日本中国友好協会,日本平和委員会,全日本農民組合連合会,人権を守る婦人協議会,全日本青年学生共闘会議,平和と民主主義を守る東京共闘会議の13団体の呼びかけで,東京・国鉄労働会館で結成された。これは,前年結成され警察官職務執行法改悪反対国民会議の経験をひきつぐものであったが,組織の基礎になったのは日中国交回復国民会議であり,総評がそのイニシアティブをとり,加盟団体は総評系組合53,中立組合20,婦人団体4,青年団体5,農民組合1,市民団体6,平和団体10,社会党,共産党など計138団体で発足(のちに約300団体),幹事会は呼びかけを行った13団体とオブザーバーの共産党で構成された。…
※「日中国交回復国民会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」