世界大百科事典(旧版)内の日暮派の言及
【日暮小太夫】より
…万治から寛文(1658‐73)ころの説経太夫。日暮派は本来鉦鼓(しようこ)をたたき,歌念仏を得意としたが,寛文前後に京の四条河原や名古屋の尾頭町で興行した際には本格的な説経を語っている。1661年刊《愛護若(あいごのわか)》,62年刊《百合若大臣》,69年刊《王昭君》などの正本がある。…
※「日暮派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…万治から寛文(1658‐73)ころの説経太夫。日暮派は本来鉦鼓(しようこ)をたたき,歌念仏を得意としたが,寛文前後に京の四条河原や名古屋の尾頭町で興行した際には本格的な説経を語っている。1661年刊《愛護若(あいごのわか)》,62年刊《百合若大臣》,69年刊《王昭君》などの正本がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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