世界大百科事典(旧版)内の日本シネマトグラフ館の言及
【日本映画】より
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[日本最初の劇映画《稲妻小僧》]
同じ99年,柴田常吉は広目屋の依頼で,強盗が刑事に捕らえられるという内容の《稲妻強盗》を俳優を使って撮るとともに,9世市川団十郎と5世尾上菊五郎の歌舞伎《紅葉狩》を歌舞伎座の依頼で撮影し,前者は日本最初の劇映画とされ,後者は現存する最古の日本映画となった。映画興行はこのころより盛んになり,初めは寄席や見世物小屋で行われたが,早くも1897年には浅草六区に,バラック建ての小屋ながら日本シネマトグラフ館という映画館がつくられ,やがて1903年,同じ浅草六区の電気館が最初の本格的映画館となった。
[風景と戦争]
上映される作品は風景映画とでもいえるものがまず多く,内外の風景を実写しただけの映画を見ることが,〈動く写真〉によるいながらの観光として人気を呼んだ。…
※「日本シネマトグラフ館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」