世界大百科事典(旧版)内の日本古文化研究所の言及
【藤原宮】より
…これに対して喜田貞吉は,現在の橿原市四分町にある鷺巣神社の北方で,醍醐町の長谷田土壇の地を宮跡の地とし,大論争が展開された。1934年12月から43年8月にかけて,日本古文化研究所(黒板勝美所長)が足立康を主任として高殿町一帯を発掘し,大宮土壇が藤原宮の大極殿の跡であること,その南で十二堂を配した朝堂院の全貌を明らかにする画期的な成果をあげ,藤原宮の所在地が確定した。古文化研究所による藤原宮の発掘は宮跡を計画的に,大規模に発掘した初例で,発掘史上大きな意義をもつ。…
※「日本古文化研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」