世界大百科事典(旧版)内の《日本哲学全書》の言及
【三枝博音】より
…その学問的関心は,はじめ宗教的合理性の追求にあり,認識論や現象学など哲学一般の問題であったが,在学中の兵役体験などから社会的なものに移り,ディルタイからマルクス主義の研究へ進み,《ヘーゲル及弁証法研究》誌を主宰,32年には戸坂潤,岡邦雄らと唯物論研究会を組織,《唯物論研究》の編集責任にあたり,反動的な観念論や日本哲学説への科学的批判を展開した。しかし当局の思想弾圧をうけ,郷里の先輩,医史学者富士川游のすすめで,日本哲学思想史ならびに科学・技術史の研究と著述活動に専念,《日本哲学全書》《日本科学古典全書》など基本史料の集大成のほか,《技術史》や《三浦梅園の哲学》など開拓的労作をのこした。第2次大戦後は,ひきつづき《技術の哲学》《日本の唯物論者》《西欧化日本の研究》などを公刊,国鉄鶴見事故で急逝。…
※「《日本哲学全書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」