日本広告(読み)にほんこうこく

世界大百科事典(旧版)内の日本広告の言及

【広告】より

…本格的には福沢諭吉の支援で江藤直純らが東京の京橋に広告取次業を開始したもので,86年弘報堂として新聞などの広告スペースの売買を専業とした。その後88年には広告社,三成社,90年には万年社,95年博報堂,1901年には日本広告株式会社(電通の前身)が創立されたが,いずれも今日の広告業とは異なり,スペースブローカーにすぎなかった。 第2次世界大戦後の1951年に民間ラジオ放送,53年に民間テレビ放送が開始され,一方アメリカからマーケティングの思想・技術が導入され定着するに及んで,おもな広告代理業はスペースブローカーから脱し,広告業務の科学化,近代化をおし進めており,現在はマーケティング・エージェンシーからさらにイベントや催事からニュー・メディアなどの広告の周辺領域も扱うコミュニケーション・エージェンシーとしての多角的展開をみせている。…

【電通[株]】より

…旧社名の株式会社日本電報通信社を1955年に改称したが,旧社名時代も電通が通称だった。光永星郎(本名,喜一)が1901年(明治34)新聞社に対するニュース通信業と広告代理業の併営を志し,日本広告株式会社と電報通信社を東京京橋で開業したことに始まる。日露戦争後の1907年,この2社を統合して株式会社日本電報通信社を設立した。…

※「日本広告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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