日本水彩画研究所(読み)にほんすいさいがけんきゅうしょ

世界大百科事典(旧版)内の日本水彩画研究所の言及

【大下藤次郎】より

…太平洋画会の設立に参加し,また05年に春鳥会を創設し,雑誌《みづゑ》を創刊。07年には丸山晩霞(ばんか)(1867‐1942)らと日本水彩画研究所を設立するなど,水彩画の普及啓蒙に大きな役割を果たした。代表作は《穂高山の麓》など。…

【水彩】より


[近代日本の水彩]
 日本では《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》の特派員として幕末に来日したイギリス人ワーグマンに学んだ高橋由一,五姓田(ごせだ)芳柳(1827‐92),その次男の義松などが洋風水彩画の端緒を作り,浅井忠は油彩のほか水彩にもすぐれていた。また1907年には大下藤次郎,丸山晩霞(ばんか)(1867‐1942)らの手で日本水彩画研究所が設立され,その後の水彩の普及,発展に大きく貢献した。【千足 伸行】。…

※「日本水彩画研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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