日本活動写真[株](読み)にほんかつどうしゃしん

世界大百科事典(旧版)内の日本活動写真[株]の言及

【映画】より

…《活動写真劇の創作と撮影法》(1917)を書いた帰山教正が,〈活動写真劇〉(舞台脚本,女形,セット撮影)1本分の製作費で,〈映画劇〉(オリジナルシナリオ,女優,出張撮影(ロケーション))2本作れると宣言し,続いて実際に《生の輝き》《深山の乙女》(ともに1918)を作ってこれを〈純映画劇〉と称したのもこの時期であった。日本活動写真株式会社(日活),天然色活動写真株式会社(天活)などといった映画会社に対して,牧野教育映画制作所といった社名が生まれたのもこの時期(1921)である。21年2月の東京朝日新聞には〈映画界――活動噂話〉という題の欄が作られ,また23年の関東大震災の後にできた《大震災の歌》の歌詞に〈大劇場も映画館(かつどう)も……〉とあり,このころには〈映画〉と〈カツドウ〉とが同じように気軽に使われるようになったようだ。…

【時代劇映画】より

…映画が活動写真と呼ばれていたように時代劇映画という呼称はまだなく,現代ものの〈新派〉に対して〈旧劇〉と呼ばれていた。この旧劇ブームの中心になったのは映画スター第1号の〈目玉の松ちゃん〉こと尾上松之助で,1909年のデビュー作《碁盤忠信・源氏礎》以来,おもに映画監督第1号の牧野省三と組んで,12年に創立された本格的な映画会社第1号の日活(日本活動写真株式会社)を舞台に,26年に死ぬまで,1000本以上の作品に出演して,絶大な人気を博した。これ以前の映画は歌舞伎や新派演劇の模写がほとんどであったから,尾上松之助を中心とする旧劇ブームとは,すなわち映画らしい映画の隆盛を意味した。…

【日活[株]】より

…日本活動写真株式会社の略称で,製作,配給,興行を含む総合的な映画企業としては日本でもっとも古い。1912年,Mパテー,吉沢商店,福宝堂,横田商会の合併によって生まれ,最初の社名は大日本フィルム機械製造会社であったが,これを日本活動フィルム株式会社に,次いで日本活動写真株式会社に改称。…

【日本映画】より

…各社とも撮影所をもったため,風景や戦争や白瀬中尉の南極探検などの実写作品のほかに,劇映画が多くつくられるようになり,それらも歌舞伎劇や新派劇をほとんどそのまま実写したようなものではあったが,弁士の説明によるドラマ性の盛上げもあって,多大の観客を集め,そのなかから最初のスター尾上松之助を生み出すとともに,日本映画の主流は実写作品から劇映画へと移っていった。
【牧野省三と日活――映画企業の始まり】

[松之助映画のブーム]
 1912年,吉沢商店,横田商会,Mパテー商会,福宝堂の4社が合併して,日本活動写真株式会社(日活)が誕生した。映画企業の本格化の始まりである。…

※「日本活動写真[株]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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