日道(読み)にちどう

朝日日本歴史人物事典 「日道」の解説

日道

没年享和3(1803)
生年:生年不詳
江戸後期の日蓮宗の僧。江戸・日暮里延命院は日蓮宗京都妙顕寺の末寺で,慶安・承応年間(1648~54)に日長 が身延七面山を勧請したのに始まる。幕府や水戸徳川家の厚い信仰を得て,壮大な堂塔伽藍を誇っていたが,寛政年間(1789~1801)に住職となった日道は,参詣婦女と淫楽にふけり,堕胎まで行ったとして,享和3(1803)年幕府によって断罪処刑された。この事件を,のちに河竹黙阿弥が戯曲化して「日月星享和政談」を書き,明治11(1878)年に5代目尾上菊五郎が日当こと日道に扮して演じたことで,延命院事件は世間の注目を集めた。<参考文献>『延命院実記』(『近世実録全書』2巻)

(佐々木馨)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日道」の解説

日道 にちどう

延命院日道(えんめいいん-にちどう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日道の言及

【延命院日道】より

…大奥女中の醜聞暴露が当局の忌諱に触れたものと見られる。上記実録本では日道(日当(につとう))を初世尾上菊五郎の実子とするが,日道が美貌であったため,うわさにおひれがついての虚構。1878年,河竹黙阿弥の手で《日月星(じつげつせい)享和政談》として舞台化,5世菊五郎が日当に扮し好評を博した。…

【大石寺】より

… 日興は1333年(元弘3)大石寺を日目に,本門寺を日代に譲り,没した。同年,日目は日興の遺命に従い,日蓮の法門を天皇に上奏すべく,大石寺の留守を日道に託して出立したが,上洛途上で没した。随行した日尊,日郷は師に代わってこれを果たしたという。…

※「日道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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