改訂新版 世界大百科事典 「延命院日道」の意味・わかりやすい解説
延命院日道 (えんめいいんにちどう)
生没年:1764?-1803(明和1?-享和3)
江戸,日暮里の延命院の住職。寛政年間(1789-1801)に住職となり,寺中の七面明神(安産・現世利益などに効験ありと信仰される)に参詣の婦女と密会,堕胎まで行ったとして,1803年寺社奉行脇坂安董の手で死罪となった。享年40歳。事件直後に元幕府奥右筆に侍奉公していた品田郡太が,この件のてんまつを《観延政命談》16冊の書本につづり,貸本屋に売却,回覧したことが05年(文化2)に発覚,作者ほか関係者が罰せられた。大奥女中の醜聞暴露が当局の忌諱に触れたものと見られる。上記実録本では日道(日当(につとう))を初世尾上菊五郎の実子とするが,日道が美貌であったため,うわさにおひれがついての虚構。1878年,河竹黙阿弥の手で《日月星(じつげつせい)享和政談》として舞台化,5世菊五郎が日当に扮し好評を博した。
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報