《明治教典》(読み)めいじきょうてん

世界大百科事典(旧版)内の《明治教典》の言及

【天理教】より

…開教期の天理教の教義には,権力を高山,民衆を谷底と呼ぶ権力への強い抵抗と世直しの主張,農村の共同体意識に立つ平和主義,平等観,夫婦中心の家族観,ヒューマニズムなど,変革期の民衆の思想が反映していた。権力への迎合が明らかになってゆく過程でつくられた1903年のいわゆる《明治教典》とファシズムの時期の革新教義は,民衆宗教としての独自の教義からかけはなれた内容で,天皇崇拝と国家主義を強調していた。この人為的な教義に反発する民衆的伝統は,信者の間で底流として生きつづけ,第2次大戦後,教祖に帰る復元運動が展開された。…

※「《明治教典》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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