《昔暦卅三年忌》(読み)むかしごよみさんじゅうさんねんき

世界大百科事典(旧版)内の《昔暦卅三年忌》の言及

【大経師昔暦】より

…また,おさんの両親,下女のお玉,その伯父の赤松梅竜ら,2人をめぐる善意の人々の悲嘆や苦悩の描出のうえにも近松独自の優れた人間洞察力がうかがわれるものとなっている。近松三姦通曲の第2作として著名だが,初演後京都の宇治座で《昔暦卅三年忌》と改題して上演され,さらに1740年(元文5)11月大坂竹本座の近松十七回忌興行のおりに《恋八卦(こいはつけ)柱暦》と改作されてからはもっぱらそれが伝えられてきた。なお同作には,71年(明和8)12月大坂北堀江市の側芝居の《本卦復(ほんけがえり)昔暦》という改作もある。…

※「《昔暦卅三年忌》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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