朝日日本歴史人物事典 「星山仲次」の解説
星山仲次
安土桃山・江戸初期の朝鮮出身の薩摩焼の陶工。薩摩焼竪野系藩窯の開祖。釜山の出身で,朝鮮名は金海。文禄の役で朝鮮に出兵した島津義弘に従って文禄4(1595)年渡来し帰化,翌慶長1(1596)年帖佐(鹿児島県姶良郡姶良町)に窯を開いたと伝える。義弘は彼を士分格で待遇し,名を星山仲次と改めた。通説では元和7(1621)年12月に57歳で没したというが,判然としない。帖佐の窯の出土品は九州の窯ならどこでも使う黒釉をベースに,藁灰の白釉を併用しており,彼が半島から土と釉を持参したという通説は成立しない。窯は元和6年には鹿児島の竪野に移り,子孫は代々仲次を称した。
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報