世界大百科事典(旧版)内の春日井松之助の言及
【浪花節】より
…とりわけ特筆すべきは,幕末の竹川粂吉と広沢岩助で,粂吉の美声高音と岩助の微妙な三弦と節とは,祭文の臭みが抜けきれなかった伊助や秀吉の芸を改革し,純粋の浪花節にまで高めた。 明治以前の浪花節は,主として神社仏閣の境内で小屋掛け興行をしていたが,1874年(明治7),春日井(かすがい)松之助や八木亭清歌などが,麻布福井亭の高座へ出演したのをはじめとして,諸方の寄席にも出演するようになり,落語や講談などの先行演芸に追随して,しだいに芸界における人気を集めていった。以後,春日井松之助を頭取(とうどり)とした〈東京浪花節組合〉,井上晴夢を取締役とする関西うかれ節組合〈愛国社〉とが設立され,浪花節は隆盛の一途をたどったが,とくに日露戦争後は,忠君愛国をテーマとすることで国粋主義の時流に乗って大発展をとげた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」