世界大百科事典(旧版)内の春日派の言及
【春日とよ】より
…小唄春日派の初代家元。本名,柏原とよ。…
【小歌(小唄)】より
…曲節はやや軽快),蓼派(初代家元蓼胡蝶。曲節はやや荘重),春日派(初代家元春日とよ。曲節は軽快,進取を好む)などである。…
【甲冑】より
… なお甲冑の工人は,古くは甲作(よろいづくり),鎧作と呼ばれ,近世には物具細工(もののぐざいく),具足細工あるいは鎧師,具足師などと呼ばれた。彼ら工人が銘を刻み,流派を唱えるようになるのは戦国時代にいたってからで,奈良の岩井派,春日派,紀州の雑賀(さいが)派,京都の明珍派などが隆盛となった。その中でも徳川将軍家のお抱え具足師となった岩井派の岩井与左衛門や,刀装具にも手腕を発揮した明珍派の信家などが著名である(図1)。…
【林又七】より
…はじめ重吉と名乗り,鉄砲工として加藤清正に仕えていたが,加藤家改易後,肥後熊本藩主となった細川忠利に抱えられ,鐔工に転じて肥後鐔を完成した。林一派は同国飽田郡春日村に住したので春日派ともいわれ,平田,西垣,志水の3家とともに肥後金工の四大派を形成したが,林家はその主流をなし,とくに又七は肥後金工の祖といわれている。又七の作風は鉄の鍛(きたえ)が抜群によく,美しい色合いを呈し,斬新で精緻な透彫と布目象嵌に大きな特色があり,実用性と装飾性をみごとに調和させている。…
※「春日派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」