世界大百科事典(旧版)内の曾我廼家大磯の言及
【松竹新喜劇】より
…旗揚げのプログラムは茂林寺文福(もりんじぶんぷく)こと曾我廼家十吾(そがのやとおご)(1892‐1974)と館直志(たてなおし)こと渋谷天外合作《丘の一本杉》,和老亭当郎(わろうていとうろう)こと曾我廼家十郎作《手》,一堺漁人(いつかいぎよじん)こと曾我廼家五郎作《嵯峨野の雪》ほかであった。参加メンバーには渋谷天外,曾我廼家十吾,浪花(なにわ)千栄子(1907‐73),藤山寛美(かんび)(1929‐90),曾我廼家大磯,曾我廼家明蝶(めいちよう),曾我廼家五郎八,曾我廼家鶴蝶(つるちよう)らがいる。松竹新喜劇結成のきっかけは,喜劇王といわれていた曾我廼家五郎(曾我廼家劇)が48年11月に他界したことにあった。…
※「曾我廼家大磯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」