有間皇子事件(読み)ありまのみこじけん

世界大百科事典(旧版)内の有間皇子事件の言及

【有間皇子】より

…657年秋紀伊の牟婁(むろ)の湯(現,和歌山県白浜町湯崎温泉)に療病し帰京して天皇にその地の景観を推賞するということがあり,翌年10月天皇と皇太子は牟婁の湯へ赴いた。その留守中におきたのがいわゆる有間皇子事件である。11月3日留守官蘇我赤兄(そがのあかえ)が有間に斉明帝の失政3ヵ条を語ったのに対し,有間は〈吾が年始めて兵を用ゐるべき時なり〉と応じ,同5日両者で挙兵の談合があったが,その夜赤兄は有間を謀反人として逮捕し,身柄を牟婁の湯に護送した。…

※「有間皇子事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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