世界大百科事典(旧版)内の望月信雅の言及
【望月氏】より
…以後望月氏は衰え,室町時代には大井氏の支配下に入ったといわれている。戦国時代には甲斐武田氏の信濃進攻により武田氏被官となり,1567年(永禄10)に遠江守望月信雅が武田氏に異心なき旨の起請文(きしようもん)を小県(ちいさがた)郡塩田(しおだ)の生島足島(いくしまたるしま)神社に奉納している。82年(天正10)の武田氏滅亡後,この地を支配した徳川家康の被官依田信蕃に降伏した武士の中に望月印月斎の名がみえる以外は,その動向は不明である。…
※「望月信雅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」