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朝倉宗滴 あさくら そうてき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朝倉宗滴 あさくら-そうてき

朝倉教景(あさくら-のりかげ)(2)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

朝倉宗滴

没年:弘治1.9.8(1555.9.23)
生年:文明6(1474)
戦国時代の武将。実名は教景。越前(福井県)の戦国大名孝景の8男。通称小太郎,のち太郎左衛門尉。文亀3(1503)年,従弟景豊の謀反に加わりながら結局惣領貞景方に寝返り,景豊に代わって敦賀郡司となる。以後越前,加賀(石川県)などの一向一揆を討つのに功績があり,貞景,孝景,義景の当主3代に重鎮として仕え,長く宗家を支えた。宗滴の談話を側近萩原某が筆録した『朝倉宗滴話記』には,18歳から79歳まで12度合戦に出て,うち3度は自分の刀で敵を討ったというような体験談や,「武者は犬と言われようと畜生と言われようと勝つのが一番」といった戦国武将の心得などが語られている。隣国若狭羽賀寺(福井県小浜市)には「自国他国共に名を後世に揚げらるべしと万人褒美せられおわんぬ」との記録がみえ(『羽賀寺年中行事』),禅宗の高僧月舟寿桂 は宗滴の武勇とともに「仁愛の博きこと,忠信の敦きこと」を称賛している。また文芸にも長じ,連歌師宗長との親交もみられる。

(河村昭一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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