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木下勝俊 きのした かつとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木下勝俊 きのした-かつとし

木下長嘯子(きのした-ちょうしょうし)

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典内の木下勝俊の言及

【木下氏】より

…近世大名。豊臣秀吉の生家木下氏と秀吉の妻(高台院)の実家杉原氏流木下氏がある。秀吉の父弥右衛門は織田信秀の足軽で尾張中村の百姓。秀吉は信長に仕え木下藤吉郎と名のるが,出世に伴い1573年(天正1)羽柴氏に,さらに86年豊臣氏に改姓した。杉原氏は定利の女が秀吉の妻(北政所)となり,秀吉の一族として繁栄,北政所の伯父家次は秀吉に仕え丹波福知山城主となった。兄家定は秀吉に近侍し木下姓に改めて播磨姫路城主,関ヶ原の戦後備中足守(あしもり)に移封された。…

【木下長嘯子】より

…江戸前期の歌人。名は勝俊。別号挙白人。父は木下肥後守家定。豊臣秀吉の北政所は伯母。若狭守となり小浜城に入る。左近衛権少将。関ヶ原の戦後はみずから隠居して京都東山の霊山などに住み,松永貞徳,九条道房などの儒家,縉紳と交わった。和歌は細川幽斎に学ぶ。堂上二条派の伝統にとらわれず,自由闊達な歌風。近世初頭武士の典型的隠者である。家集《挙白(きよはく)集》,紀行文《九州のみちの記》がある。【柳瀬 万里】…

【挙白集】より

…江戸初期の歌文集。木下勝俊(木下長嘯子)詠,打它公軌(うつだきんのり)・景軌・山本春正編。1649年(慶安2)刊。…

※「木下勝俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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