木本荘(読み)きのもとのしょう

世界大百科事典(旧版)内の木本荘の言及

【勧農】より

…荘園領主は毎年春さきに荘園の池・溝を整備し,百姓の逃死亡などで不作田が出ると浪人を招きすえてこれを耕作させ,年貢の斗代(年貢率)を引き下げたりしたほか,種子・農料を下行して一年の耕作を円滑にしようとした。1104年(長治1)春には紀伊国木本荘へ勧農のために使者が下向し,31町3反の荘田に種子・農料を下行した。若狭国太良荘では1239年(延応1)預所定宴が農民たちに農料を下し,斗代をひき下げて,荘田を満作させるための措置を講じている。…

※「木本荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」