世界大百科事典(旧版)内の本宅安堵の言及
【本宅】より
…中世武士の屋敷地は通常1~2町の規模を有し,堀や土塁で区画されて土居,堀ノ内などと称せられ,屋敷畠や門田(もんでん)等の直属耕地や下人在家を包摂していた。このような在地領主の本宅は,名田(みようでん),所職(しよしき)など全所領の根幹をなしていたので,武家による本領安堵を本宅安堵ということがあり,治承・寿永の内乱のとき,河内国の領主が本領開発田の濫妨に対して〈安堵本宅〉をもとめて源義経の安堵外題を与えられ(《水走文書》),上総国御家人が源頼朝から〈本宅に安堵すべきの旨〉の恩裁をうけた事例(《吾妻鏡》)がある。【戸田 芳実】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」