世界大百科事典(旧版)内の本皇の言及
【新皇】より
…《将門記》によると,939年(天慶2)11月21日に常陸国府を制圧した将門は,12月19日に上野の国司を追放して国庁に入り,弟や従者を伊豆と関東諸国の受領(ずりよう)に任じたが,このとき八幡大菩薩の使と口ばしる昌伎から位記を授けられ〈新皇〉と称するようになる。同書はこれ以後の将門を新皇と記すが,一方で京都の朱雀天皇を〈本皇〉〈本天皇〉としているので,新皇とはもともとの天皇に対する新しい天皇の意味であろう。《将門記》によると将門は,東丹の建国者耶律阿保機を例にあげて武力による国家建設の正当性をとき,足柄・碓氷の2関を固めて坂東を防ぐことを主張しており,ここには関東国家樹立の意図が認められるが,将門が本皇の存在を前提として新皇と称したとすれば,その関東国家は,本天皇支配下の自立国家,日本国家と朝貢関係にある地方国家のようなものと解される。…
※「本皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」