《本福寺明宗跡書》(読み)ほんぷくじみょうしゅうあとがき

世界大百科事典(旧版)内の《本福寺明宗跡書》の言及

【本福寺】より

…4世明顕,5世明宗は蓮如の子実如に仕えて功績があったが,のち明宗は本願寺一家衆蓮淳の不興をこうむり3度にわたる勘気を受けた。その苦難の手記《本福寺明宗跡書(みようしゆうあとがき)》(1538)など一連の記録は,一向一揆研究や中世生活史解明に不可欠の史料として重要である。近世,元禄期の住職11世明式は当寺中興の祖といわれるが,千那と号して俳諧をたしなみ芭蕉の門人として著名で,著書に東国の親鸞遺跡巡拝記《白馬紀行》などがある。…

※「《本福寺明宗跡書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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