本迹曼荼羅(読み)ほんじゃくまんだら

世界大百科事典(旧版)内の本迹曼荼羅の言及

【神道美術】より

…これは,鎌倉時代に流布された神国思想による神社の発展からくる多様化である。とりわけ,文永・弘安の元寇(1274,1281)によって神国思想が一段と高揚すると,神道曼荼羅は,以上のような形式のほか,宮曼荼羅に本地仏や垂迹神を加えたり,本地仏と垂迹神をともに描いた本迹曼荼羅や,神社参詣曼荼羅などさまざまな形式が生まれ,同時に量的にも多く制作された。現存遺品もこの時代から室町にいたるものが圧倒的に多い。…

※「本迹曼荼羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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