本郷貞泰(読み)ほんごうさだやす

世界大百科事典(旧版)内の本郷貞泰の言及

【若狭国】より

… 建武政府の崩壊後も内乱の波動はやまず,足利政権が任命した斯波時家からあと,約30年の間に十数名の守護が交替している。尊氏・直義(ただよし)兄弟が対立抗争した観応の擾乱(じようらん)に際しては,51年(正平6∥観応2)直義方についた時の守護山名時氏が若狭に落ち,尊氏は奉公衆本郷貞泰(大飯郡の国人(こくじん))に国中の軍勢を催して時氏を追討せよと命じた。代わって大高(だいこう)重成が3度守護に補任されたが,若狭の国人の多くは直義方に立って,本郷貞泰や下向した守護代官大崎八郎左衛門入道らと戦い,ついに大崎を追放する。…

※「本郷貞泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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