世界大百科事典(旧版)内の本長谷寺の言及
【長谷寺】より
…草創については諸説があるが,《日本紀略》《春記》《東大寺要録》から推考すると,721年(養老5)に大和川原寺の僧道明が山寺を構え,727年(神亀4)より良弁の弟子徳道が,その東南の高所の岩盤を基礎として2丈6尺の十一面観音立像と観音堂を建立し,行基を導師に落慶供養を行ったという。観音堂がすなわち豊山寺であり,道明の当初の山寺は,今日,本(もと)長谷寺として伝えている三重塔を中心とする一画がそれである。豊山寺が泊瀬上山寺として8世紀後半に信仰をあつめていたことは《日本霊異記》で知られる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」