世界大百科事典(旧版)内の李=フルニエ協定の言及
【清仏戦争】より
…82年,劉永福の率いる黒旗軍がソンコイ川流域の鉱山を調査していたフランス隊を妨害したとの口実でフランスはハノイを占領し,清もこれに対抗して北ベトナムへ出兵した。この紛争は84年(光緒10)5月,天津において北洋大臣李鴻章と海軍中佐フランソア・エルネスト・フルニエとのあいだで協定(李=フルニエ協定)が調印されて解決したかにみえたが,協定の撤兵に関する条項が不備であったため,同年6月に再び両国は武力衝突した。いわゆる清仏戦争はここに始まるが,国際法上は最後まで宣戦されない戦争であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」