世界大百科事典(旧版)内の李宗閔の言及
【牛僧孺】より
…進士に及第したが,制挙の際に時政を糾弾し,宰相の李吉甫(758‐814)にうらまれた。穆宗(ぼくそう),敬宗の代に宰相となり,李宗閔(?‐843)らと朋党をつくり,李吉甫の子の李徳裕のグループと吐蕃に対する政策などをめぐって激しく争った。これが牛李の党争といわれる。…
※「李宗閔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…進士に及第したが,制挙の際に時政を糾弾し,宰相の李吉甫(758‐814)にうらまれた。穆宗(ぼくそう),敬宗の代に宰相となり,李宗閔(?‐843)らと朋党をつくり,李吉甫の子の李徳裕のグループと吐蕃に対する政策などをめぐって激しく争った。これが牛李の党争といわれる。…
※「李宗閔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の9月中 (9月後半) のことで,太陽の黄経が 210°に達した日 (太陽暦の 10月 23日か 24日) に始り,立冬 (11月7日か8日) の前日までの約 15日...