世界大百科事典(旧版)内の李義の言及
【崔忠献】より
…武臣の家に生まれ,1174年趙位寵の反乱の鎮圧で武名をあげ,国軍のなかで地位を高めていった。当時,武人李義
(ぎびん)が政界を支配していた。96年忠献は弟や族人をひきいて義
を暗殺し,つづいて府兵を動員して義
支持者を殺害追放し,一挙に政権を掌握した。…
※「李義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…武臣の家に生まれ,1174年趙位寵の反乱の鎮圧で武名をあげ,国軍のなかで地位を高めていった。当時,武人李義
(ぎびん)が政界を支配していた。96年忠献は弟や族人をひきいて義
を暗殺し,つづいて府兵を動員して義
支持者を殺害追放し,一挙に政権を掌握した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...