李賢(読み)りけん

世界大百科事典(旧版)内の李賢の言及

【後漢書】より

…〈東夷伝〉のなかの倭国の記事も《魏志倭人伝》と重なる。1971‐72年にその墓が発掘された唐の章懐太子李賢が注を書いた。【吉川 忠夫】。…

【章懐太子墓】より

…中国,唐の高宗と則天武后の第2子である章懐太子李賢(655‐684)の墓。陝西省乾県にある高宗の乾陵(けんりよう)の南東約3kmの地点にある。…

【大明一統志】より

…90巻。吏部尚書・翰林学士李賢の奉勅撰。本書に先行して,景泰帝が陳循等につくらせた《寰宇(かんう)通志》119巻(1456年(景泰7)刊)があり,その後1458年(天順2)に天順帝は李賢に命じてこれを重修させ,61年に成ったので《大明一統志》の名を賜った。…

※「李賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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