村上光保(読み)むらかみみつやす

世界大百科事典(旧版)内の村上光保の言及

【洋菓子】より

…横浜,東京を中心に,狭い範囲ではあったが,明治初期にも,日本で洋菓子が作られるようになった。明治天皇の大膳職だった村上光保(みつやす),ビスケットやフランス菓子を伝えた米津恒次郎(よねづこうじろう),森永製菓を創立した森永太平などは,すでに明治初年にヨーロッパあるいはアメリカへ渡り,菓子作りの修業にはげみ,今日のわが国洋菓子の基を築いた。 第1次世界大戦後,徳島県鳴門市の板東捕虜収容所にさまざまな職業出身のドイツ兵(青島守備隊)が収容されたが,彼らの中にはパンや菓子のマイスター(親方)が多数おり,後になって,神戸や東京でドイツ菓子や料理の店を開いたり,ハム,ソーセージの製造業を開業し,わが国でのドイツ菓子やドイツパンの嚆矢(こうし)となった。…

※「村上光保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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