村井倉松(読み)むらいくらまつ

世界大百科事典(旧版)内の村井倉松の言及

【上海事変】より

…柳条湖事件直後から上海でははげしい抗日運動が展開されたが,上海公使館付陸軍武官補佐官田中隆吉少佐らは,これを抑圧するとともに,〈満州国〉樹立工作から列国の目をそらすための謀略として,1932年1月18日買収した中国人に日本人托鉢僧を襲撃・殺傷させ,日中間の対立を一挙に激化させた。村井倉松上海総領事は呉鉄城上海市長に対し事件について陳謝,加害者処罰,抗日団体解散などを要求し,第1遣外艦隊の武力を背景として,27日最後通牒を発した。28日中国側は日本の要求を承認したが,陸軍に対抗して戦功をあげようとはやる海軍は,日本が一方的に警備区域に編入した租界外の閘北(ざほく)へ陸戦隊を出動させ,蔡廷鍇(さいていかい)指揮下の第19路軍と衝突,激烈な市街戦となった。…

※「村井倉松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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