東北人民革命軍(読み)とうほくじんみんかくめいぐん

世界大百科事典(旧版)内の東北人民革命軍の言及

【抗日パルチザン】より

…1910年の朝鮮植民地化後,間島を中心とする東北一帯では,義兵や独立軍による朝鮮民衆の反日武力抗争が一貫して続けられてきたが,この伝統を継承しつつ満州事変後の1932年春から共産主義者主導の武装闘争は開始された。当時のコミンテルンの一国一党方針により,このパルチザン部隊は形式上は中国共産党満州省委員会指導下の東北人民革命軍(1934年以後は東北抗日聯軍)に属し,朝・中人民連帯による反日帝闘争の一翼を担ったが,東満・北満では実際上朝鮮人が主力の部隊が多かった(朝鮮側文献では朝鮮人民革命軍と呼ぶ)。特に,間島五・三〇蜂起(1930)以降の大衆的高揚を背景として間島地方では,32年秋から小規模ながら九つの解放区が創出された。…

※「東北人民革命軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む