東南里廃寺(読み)とうなんりはいじ

世界大百科事典(旧版)内の東南里廃寺の言及

【寺院建築】より

…定林寺址,金剛寺址,軍守里廃寺は中門と講堂を回廊で結び,金堂を囲う四天王寺式伽藍であり,弥勒寺址は回廊が金堂と講堂の中間で閉じる日本の山田寺伽藍と同形式である。東南里廃寺は塔がなく,金堂を中心にして中門と講堂を回廊で結ぶ形式で,日本には紀寺に例がある。古新羅はその固有の文化,伝統の強さから仏教の受容は遅れたが,その後の寺院造立は最も盛んであった。…

※「東南里廃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む