世界大百科事典(旧版)内の《東南院文書》の言及
【正倉院文書】より
…《正倉院文書》はこのほか,広義に献物帳,出納文書,丹裹古文書(丹のつつみ紙)など正倉院宝物に付随して伝わった文書を含めることもあるが,出納文書は平安時代のものも残っており,鎌倉時代の1261年(弘長1)を最後とする。また《東南院文書》を《正倉院文書》に含めることもあるが,これは東大寺の印蔵に伝わった文書が,明治初年に皇室に献納されて正倉院に入ったもので,正倉院伝来の文書ではない。 正集は,1836年(天保7)穂井田忠友(ほいだただとも)(1792‐1847)が重要文書を選別して整理したもので,忠友はこのとき文書の写本を作って知友にわけ,また文書中より印章を集めて《埋麝発香(まいじやはつこう)》を刊行したりしたので,好古家の正倉院文書に対する関心が急に高まり,学者の研究対象となる端緒となった。…
【東大寺文書】より
…かつては東南院,尊勝院の2院家をはじめ,大勧進職の流れをひく竜松院,執行の流れをひく薬師院などの子院・塔頭(たつちゆう)に別々に伝存していた文書も,現在は大半が東大寺図書館に保管されている。もっとも,明治時代,廃仏毀釈の影響などのため,その文書の一部が寺外に流出したほか,東南院文書が皇室に献納され,正倉院に保管されるようになるなど,現在寺外に存在する東大寺文書の数も少なくなく,内閣文庫,東大,京大,根津美術館などにかなりの数の文書が収められている。広義には,これらの東大寺旧蔵文書も,東大寺文書と呼ぶべきであろう。…
【東南院】より
…1567年(永禄10)の兵火に類焼して以後,一時荒廃したため,1702年(元禄15)公慶上人が再興し,1763年(宝暦13)に再度宸殿などを修復した。東南院文書は1872年に献納,正倉院に収蔵されている。【堀池 春峰】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」