世界大百科事典(旧版)内の東夫余の言及
【夫余】より
…しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は沃沮(よくそ)の地(咸鏡道方面)に奔った。彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の攻撃をうけ,494年滅亡した。…
※「東夫余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は沃沮(よくそ)の地(咸鏡道方面)に奔った。彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の攻撃をうけ,494年滅亡した。…
※「東夫余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...