世界大百科事典(旧版)内の東夫余の言及
【夫余】より
…しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は沃沮(よくそ)の地(咸鏡道方面)に奔った。彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の攻撃をうけ,494年滅亡した。…
※「東夫余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は沃沮(よくそ)の地(咸鏡道方面)に奔った。彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の攻撃をうけ,494年滅亡した。…
※「東夫余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...