世界大百科事典(旧版)内の東方諸民族大会の言及
【コミンテルン】より
…論争は,民族解放運動を支持しながら,同時に共産主義者の自主性をあくまで維持するという折衷案に落着した。大会の直後,第1回東方諸民族大会がバクーで開催され,アジア・中東諸国の32の民族代表1891名が参加し,1922年1月にはモスクワとペトログラードで開かれた極東革命組織大会には10ヵ国,148名の代表が出席した。 しかし民族ブルジョアジーとプロレタリアートそれぞれの闘争の有機的統合という命題は,実践においてしばしば解きがたい矛盾に逢着した。…
※「東方諸民族大会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」