世界大百科事典(旧版)内の東蒙古人民自治政府の言及
【内モンゴル自治区】より
…その後,日本による〈満州国〉成立と共に,この地の東部はその領域に入り,日中戦争中は他の地域も日本の支配下におかれた。日本の敗戦後,国民党による内蒙古共和国臨時政府が成立するが,45年11月共産党の指導で張家口にできた内蒙古自治運動連合会がそれにとって代わり,46年4月には,北東部のウランホト(烏蘭浩特)にあった東蒙古人民自治政府との間で統一が達成された結果,47年4月の内モンゴル人民代表会議を経て,5月1日新中国成立の2年5ヵ月前に内モンゴル自治区が生まれた。
[産業,交通]
内モンゴル高原の広大な草原では牧畜が盛んであるが,牧畜民は,昔はあちらこちらに水や草を探し求めながら,いわば〈運に任せて家畜を養う〉という不安定な状況と封建的支配体制の下で,貧しい生活を強いられていた。…
※「東蒙古人民自治政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」